記念物 杉 2015年12月25日 延徳3年(1491)南部下久慈から種里入部した光信公は、やがて大浦へ進出して津軽平定の足掛かりをつくった。大永6年(1526)その波乱の生涯を終え、御廟所の葬られた。 そのときに植えられたと思われるこの杉は、公の遺徳の讃えるが如く高く天を指して立っている。 これらの老樹の中には幹が空洞になり、危険になったので何本か伐られたが、その年輪は500を数え、光信公入部から500年以上経っていることが裏付けられる。鯵ヶ沢町指定文化財。